畑を見るのも楽し
21日(日)爽やかな秋晴れが続く。この連載も長くなりそうである。あったことをなかったことにしたり、事実を捻じ曲げ、あの戦争で日本はまるで悪いことは何もしなかったかのような雰囲気作りが行われている現状は、歴史教育者としては耐え難いことである。
先日も新潟日報は昭和天皇実録を取り上げ、その中に天皇が山本五十六の死を強く悼む記載があったと、要は五十六の偉大さを称える内容なのだ。真珠湾の5日前に天皇は五十六と面会「奮闘し敵を倒せとの勅語」を下し、五十六は「謹んで大命を奉じ、聖旨に応え奉る」対米戦で勝算が無い事を一番よく知っていたのは五十六であった。
戦死した五十六の遺骸を自ら出迎える意思を示したと。それはそうだろう。昭和天皇も勝算のないことを知りつつ下命したのだから・・。長岡市の河井継之助記念館長の「人間天皇を実感した。これだけ思われた五十六の郷土の人間として誇りに感じる」のコメントも時代錯誤ではないか。天皇と五十六の間には国民の命や将来は何も語られていない。
収穫を待つ枝豆
それがどうして二人とも平和主義者で国民を思い続けた素晴らしい偉人、日本や郷土の誇りになるのか。そう受け取るのは個人の自由だが、「事実」として子どもたちに語り継げることなのか。従軍慰安婦の事実は出来るだけ明らかにして教える必要があるだろう。
慰安婦の徴集方法は各派遣軍が選定した業者が、朝鮮、台湾、日本に送り込まれ、そこで憲兵、・警察の支援を受けて又は連携して慰安婦を徴収した。この業者は軍または在外公館(領事館)が発行する許可書又は証明書を必ず持っていなければならなかった。
対米英蘭開戦以降、陸軍省は自ら軍慰安所の設置に乗り出した。東南アジア・太平洋地域への渡航も中央で管理統制した。インドネシアを密かに視察した深田益男軍医少佐は「日本軍人による強姦防止と性病蔓延防止のため」慰安所の設置と村長への割り当てを陸軍省に提言している。
来年も水田かな?
村長に割り当てるということは、事実上、強制的な徴集を行うということに他ならない。次に、東郷茂徳外相が軍慰安婦の渡航は、旅券ではなく、軍の証明書で行うように42年1月に指示をしている事実も重要である。(外務大臣から台湾総督府宛て電報「南方方面占領地ニ対シ慰安婦渡航ノ件」)
42年3月、南方軍は東南アジア・太平洋の各地に慰安婦を配置することとし、台湾軍司令部に対してボルネオへ送る軍慰安婦50名(後20名追加)を要求した時、台湾軍は創出に当たって陸軍省の許可を求めた。つまり軍中央の許可なしに慰安婦を送れなかったのだ。
こうしてみてくると、政府や軍の関与は隠しようもないほど明らかではないか。金原節三陸軍省医務局医事課長の業務日誌42年9月3日付によれば、課長会報(課長たちの合同会合)で倉本人事局恩賞課長が慰安施設を次の通り「北支100か所、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400か所に作りたり」、と述べた。とある。
43年1月7日の会議では「内地輸入ものは評判悪し。現地養成のもの評判よし」とあり、まるで慰安婦の女性を物扱いである。性奴隷そのものだったのだ。