3つの宗教が共存する国
17日(水)暴風。買い物以外は出かけず家に籠って、ネット上のニュースを追っている。今読んでいる本は古賀茂明氏と須田慎一郎氏の対談集「日本が融けて行く」だが、さっぱり進まない。先日、私のブログにコメントをくれた「鬼平」さんの提起を考えてみたい。
つまり、今回の選挙に関し、投票率の低さと自民党圧勝は戦後の自民党と文科省による教育政策の勝利ではないかという点についてである。私もそのことについては、長年考えもし、いつかはこの結果を招来するであろうことを恐れてきた。安倍政権の登場で現実のものになってきた。
日本の教育、とりわけ社会科教育が権力側の標的になり、健全な政治教育が骨抜きにされ、愚民化教育が行われてきたということである。それは又戦後のみならず、江戸時代以来の「見ざる、聞かざる、言わざる」とか「長いものに巻かれろ」など、処世術として日本人の心に沁み込んだ。
3つの宗教が共存する国
日本の社会は明治以来、権力は対外的にあるいは対国民的に常にダブルスタンダードを維持してきた。例えば開化政策とキリスト教禁止、立憲主義と勅令主義、普通選挙法と治安維持法、戦後も教育基本法と学習指導要領(法律に依らない告示や通達)権力の本音は常に後者にあった。
政治教育に限ってみてみる。旧教育基本法第8条(政治教育)良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。2.法律の定める学校は特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。極めて常識的な規定である。
この条文は改悪された教育基本法でもほぼ維持された。そうせざるを得なかった。まさか政府の見解を教えよ、とは法律に書き込めまい。対外的にも対国民に対しても建前は維持しつつ、本音は政府見解を押し付ける手段はある。それが文科省告示の学習指導要領である。
法律でも文科省通達でもない「告示」でしかない学習指導要領の威力は「日の丸・君が代」の強制問題で証明された。指導要領に「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導する」と書き込んだだけで、大阪市の橋下市政のように口パクまでチェックするに至った。
今日の状況に至る学校現場の変化は既に30年前に始まっていた。戦前の入学式や卒業式を思い出してほしい。日本の学校の体育館があり、ステージがあった。何のためか。ステージの奥に御真影(天皇皇后の写真)があり、そこに向かって教師も生徒も最敬礼するためだった。
式は君が代の斉唱に始まり、校長による教育勅語の奉読など、天皇(国家)に忠誠を示すための厳粛な儀式であることが最優先で子どもたちの入学や卒業を祝うことは二の次だった。寒い体育館で鼻水をすすることも許されず、ひたすら式が終わるのを待つだけの式。戦後これらはすべて否定されたが、再び復活する動きが始まった。
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