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NO3149 従軍慰安婦は否定できない(103)

ハノイ市内
ハノイ市内 27日(月)快晴。朝5時半に散歩と草取りだけで汗びっしょり。着替えが必要になる。室内の方がまだいい。ブログを書き溜める。ここで、中曽根康弘(97歳にして健在)悪い奴ほどよく眠る。亡くなった鶴見俊輔氏の対極にあるような人物。平成の妖怪とも。

 ルポライター鎌田慧氏の文章を借りて、中曽根の人生を振り返ってみよう。04年に出版された「自省録」は自慢話に終始している本だと。私は読んでいないが、人生も終わりに近づいて、言わずにはいられなかったのか、副題に「歴史法廷の被告として」とある。

 

 中曽根は東大卒業後、内務省に入り、その後すぐに海軍経理学校に入学。そこで中尉に任官する。戦闘体験はないが、ボルネオ島に赴任。慰安所をつくったというのはこの時だ。「3千人からの部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた」「そんなかれらの為に、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。念のためこの部分の出典を示すと、「終わりなき海軍」(松浦敬紀・編78年)それを裏付ける資料が前号で紹介したものである。

ハノイ市内
ハノイ市内 もう一つ、女性に関する記述がある。42年3月、中曽根中尉は台湾の高雄海軍建築部に転任となった。44年4月、台北に出張して女子挺身隊を組織する。「台湾で苦労を共にした徴用工や女子挺身隊らと・・永遠の清純な思い出として、私の胸に刻まれている」(政治と人生)

 

 戦後、中曽根は香川県警務課長、やがて警視庁監察官に転じ、「共産主義の組織論と各国共産党の活動状況の調査」に力を入れたと。退職して、高崎に帰り、天皇の白馬に見立てて、白い自転車に乗り、国政選挙に打って出て、単純な反共の闘士として政治の世界に。

 

 有名な話は彼が日本の原発の生みの親に等しい存在だということ。54年、突然原発予算を議員立法で押し切る。その額もウラン235をもじり、2億3500万円だったと。なぜ突然原発だったのかは未だに謎だが、前年の訪米中の米CIA(諜報機関)との関係が指摘される。

 

ハノイ市内

ハノイ市内彼は右翼運動として高崎で「青雲塾」を立ち上げ、2 万名とも言われた塾員の中から700名を選び、高崎をはじめ全国の労働組合に潜り込ませ、組合つぶしに乗り出した。国鉄の民営化はまさに国労、総評つぶしの為でもあった。こうして米国の代理店となったと。


 中曽根は、おそらく、慰安婦が問題になるとは思ってもいなかったから、気楽に自慢話として書いたのだろうが、それから30年後、07年外国特派員協会で会見を開いた際、アメリカの新聞社から指摘され、中曽根は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」

 

「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった。具体的なことは知らない」と。見苦しい言い逃れだ。女衒のようなことをやった男が戦後首相になり、大勲位菊花大綬章を天皇からもらうという恥ずかしい国だ。



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