宮城内は生活道路
4日(金)矢部宏治著「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」から、もう少し引用する。「東京を中心とする首都圏上空にも嘉手納空域と同じ、横田空域という米軍の管理空域があって、日本の飛行機はそこを飛べない」53年の日米行政協定によるのだと。
この本には、我々がほとんど知らない(知らされていない)ショッキングな話が次々と出てくる。詳しくは本書を読んでいただきたいが、「米軍機は、沖縄という同じ島のなかでアメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上は平気で低空飛行する」
「強い国の言うことは何でも聞く。相手が自国では絶対できないようなことでも、原理原則なしに受け入れる。その一方、自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない。そういう人間の態度を一番嫌うのが実はアメリカ人なんです。だから心の中では日本側の態度を非常に軽蔑している」安倍政権そのものだ。
宮城は戦争博物館
こんなとんでもないことがなぜ許されているかと言えば、日米安保条約と日米地位協定で日本政府が認めたということである。でも、ちょっと変じゃないの?私たちは条約は法律より優位にあるが憲法よりは下位にあると教わった。まして「協定」は法律でさえない。
沖縄における米軍による憲法無視の傍若無人の振る舞いは、本土でも法的には可能なようになっているが、批判を恐れてさけているだけだと。それなら、なおさら沖縄に対する差別ということだ。今安倍政権が集団的自衛権容認の唯一のよりどころにしている最高裁砂川判決とは。
この判決は1959年、在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で戦後2代目の長官・田中耕太郎によって下された判決。簡単に言えば、安保条約のような高度な政治問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいというトンデモ判決だった。
ベトナム戦争で使われた武器
在日米軍による住宅地の低空飛行、米兵による犯罪、事故現場の一方的封鎖、騒音訴訟など、すべてはこの判決に基づいて「統治行為論」として退けられるという、しかも、この砂川裁判の全プロセスがアメリカ政府のシナリオの下に、その指示と誘導によって書かれた、という驚愕の事実。
この事実は08年、アメリカの公文書によって初めて明らかになったというのだ。だとすれば、砂川判決そのものの正当性が疑われることになり、それを唯一の根拠にしている安倍政権の論理は崩壊する。そもそも、今時の人になっている慶応大の小林節教授の研究によれば、「アメリカやフランスでも日本のような統治行為論は認められていない」と。この判決の故に、例えば騒音訴訟や強制連行事件でも事実関係を認めながら、飛行差し止めや損害賠償は認めないというおかしな判決になるのである。この判決は三権分立の否定だ。