海外生活体験者のレポート「フレンズ 帰国生 母の会」投稿より 2


モスクワ滞在記

2001年6月から2004年7月までモスクワに滞在しました。(途中半年は出産のため日本に帰国)モスクワには日本人学校があり、小1から中3まで当時80人規模のアットホームな雰囲気で、小2の娘ものびのびと過ごしました。高校になると、モスクワにあるインターやイギリス系の学校に行くか、ロンドンやドイツにある日本の私立校に行く場合が多かったです。治安の面では、地下鉄や劇場でのテロがあり、車での移動が主な交通手段です。冬も長く、運動不足になりがちなのでスポーツクラブに通う方、テニスを習う方、手芸や料理を習う方などみな工夫して暮らしていました。
日本食はブームで多くの寿司バー、日本食レストランができていました。納豆や漬物も日本食を扱うストアーで手に入れることができますが、日本で買う4倍の値段です。いつも欲しい品物があるとは限らないので、見つけたときに、買いだめしていました。食料は、外資系のストアーで買いました。野菜、果物は、マーケットで買いたいところですが、すりがいたり、と危険なのでお手伝いさんやドライバーと一緒のときに限られました。

モスクワ、と聞いて「行列、品不足」と想像していましたが、街にはものが溢れています。24時間営業の店も多く、高度経済成長期の日本のように活気に満ちていました。しかし品質の良い外国製品は日本で買うより高く、安いものはすぐ使えなくなります。慣れぬ海外暮らしでは買い物も一仕事。荷物に余裕があれば、洋服は日本から持っていったほうがいいと思います。また厚手のタイツもなぜか当地にはありません。ホッカイロも便利です。帽子、コート、靴は当地で買いました。コートも今は軽いダウンコートが主流です。
医療の面では、日本大使館の領事部に日本から医師と看護士が派遣されており、風邪などの病気には十分対応してもらえました。アメリカ、ヨーロッパ系の病院もあり、日本語の通訳がいる病院もありますが、入院には対応できないので、手術が必要な場合はフィンランドやパリに輸送される場合もありました。出産はモスクワで、ということもロシア語が堪能な場合は可能なようです。しかしほとんどの場合は日本に帰国しての出産となります。私の場合も検診をヨーロッパ系の病院で受け、日本に帰国して出産しました。
初めての海外生活で不安でいっぱいでしたが、メイドと運転手に恵まれ、多くの人に支えられ、無事に過ごすことができました。
普段は無愛想なロシアのお役人も子どもには寛容で、子育て中だからこそ感じた優しさもありました。ロシアは対日感情もよく、日本人に対する信頼が厚いことも幸いでした。
国の体制をはじめ、変化の激しい社会で逞しく行きぬくロシアの人々、情に厚く時におせっかいな人々に出会えたことは大きな財産です。

スローペースで前進中

5年7ヶ月の海外生活を終え、娘は今年4月に初めて日本の学校で小学校6年生となりました。帰国した時点で翌年の中学入試まで1年を切った状況に、親である私は焦りを感じておりました。
当初、私は「勉強しなさい。漢字は?算数は?」と言い続けましたが、娘にとっては受験勉強どころではありませんでした。それまで英語環境で教育を受けてきた娘は、初めての日本の小学校の文化に揉まれ、同級生が使用する独特の言葉遣いにも戸惑っていました。他に帰国子女はおらず、慣れない学校生活に順応していくことで精一杯でした。また、受験という概念がなかなかピンとこない娘にやる気が出るはずもなく、私はひとり空回りしていました。

そんな私を見透かしたように、実家の母が言いました。「あなただって、高校生になってからでしょ、やる気がでたのは・・。」そうでした。勉強に対して私のエンジンがかかったのは、高校生になってからでした。やる気は本人が自覚しなければ出ないことをすっかり忘れていました。11歳といえども、娘は一個の別人格者。あれこれ頭ごなしに指図できないと反省し、ある日、夫、私、娘の三者会談を開いて、娘の気持ちを確かめました。学校の宿題程度しか勉強していなかった娘でしたが、自分と同じような帰国子女のいる中学校に通いたいという気持ちは強いものでした。その話合いの後、日々こなす学習内容を娘と決めました。「せめて、これだけはやろうね」程度の学習量なので、受験生の勉強量には到底及びません。しかし、塾の宿題すらこなせなかった娘も、最近はようやく頑張り始めています。
小6の秋。つい半年前までは英語の本しか手にしようとしなかった娘が、最近は日本語の推理小説のシリーズものに夢中になっています。親としては嬉しいやら、心配やら。娘のエンジンのかかりは悪いものの、本人は本人なりに頑張っています。
学力テストの結果に一喜一憂しつつ、今の頑張りは娘のこれからの人生にとって必ずプラスになると信じて日々を送っています。どのような結果であれ、来年の4月は笑顔と希望に満ちた春を迎えたいと思いながら、学校説明会参加の日々が続きます・・・。

日本人学校からの中学受験

夫の2度目のアブダビ赴任が決まったのは娘が小3の終わりで中学受験の塾に通い始めたばかりの時でした。アブダビ日本人学校には前回息子が小学1,2年で通っていたこともあり、少人数で家庭的な校風とわかっていましたので今回娘を連れて行くことにあまり迷いはありませんでした。その結果中学受験はできなくなっても、長い人生の中で子供時代に異なった文化の国で数年間過ごすことは良い経験になるという思いも強くありました。
前回の帰国から8年が経っていましたので、アブダビの町は大きく変貌を遂げ、色とりどりののガラス窓がキラキラ輝く高層ビルが建ち並ぶ近代都市となっていました。その中に大小のモスクやミナレット(塔)が点在し、一日5回、礼拝を呼びかける声が響き、道行く人々は欧米やアジア、周辺アラブ諸国からの多くの外国人、そして民族衣装の自国UAE人と一種独特の異国情緒を醸し出していました。

日本人学校先生がたがは行事への取り組みが熱心で現地校、外国人学校との交流もたびたびあり子供たちは毎日が刺激的で忙しく過ごしていました。ただ塾など全く無く、中学受験どころか普通の勉強にも不安を感じていました。帰国枠での受験に関しても日本人学校なので英語ができるわけではないという理由であまり考えていませんでした。そんな時に手にした学校案内で帰国生受験の詳しい状況、合格者の出身内訳(現地校か日本人学校)などを見て帰国生受け入れの多様性を知りました。帰国は娘が小6の夏でその時点でも無理に帰国枠で受験しなくてもいいという気持ちでしたが、塾に勧められるまま学校説明会に何校も足を運びました。個別に話を聞くうちに学校によって受験資格、入試科目や採点方法、入学してからの対応について実にさまざまであるという印象が深まっていきました。短期間に、受験可能な学校、合格できそうな学校、もちろん娘の希望や入ってから合いそうな学校を選択するのは本当に大変でしたが何とか入学でき高2の現在まで楽しく通っています。
親の仕事の都合でそれまでの生活が断ち切られるということを子供はどう受け止めているのでしょうか。日本人学校の先生でご自分も帰国生だった方が、帰国する生徒の親たちに向けた言葉の中で「ここでの数年間の生活がその子ににとってどういう位置づけになるのか本人に整理させてあげてください」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

双子の高校受験

双子の息子と娘は、幼稚園から小3まではインドネシアのジャカルタ、小6から中3まではニュージーランドのオークランドで過ごしました。
主人の赴任の関係で高校受験を考えざるを得なくなった時は、すでに中3の2学期、それから合格発表までは怒涛の3ヶ月でした。ニュージーランドでは12月初旬で学年が終わり2月まで長い夏休みです。それを利用して日本に戻り、帰国子女枠受験に備えました。
ホリデーに入る前に必要書類を揃えなければなりません。二人が通っていた現地の小学校、中学校に何度もお願いに伺いました。先生方は親切に対応してくださり、頑張るよう励ましてくださいました。
学年修了証と成績証明書を抱えて12月末に帰国し、すぐ帰国子女のためのコースのある塾に入りました。子供たちは塾通い、私は願書書きに追われる毎日でした。お正月返上の受験生に混じり、最初は戸惑うことばかりだったと思います。しかし、世界中から集まってきた帰国生とはすぐ仲良くなり、塾通いにも慣れてきました。このお友達の影響力は大きかったと思います。

塾の休みの日には子供たちと共に学校を訪問し、先生にお会いしてお話を伺ってきました。二人とも自分で見て、聞いて、質問をしたことでモチベーションが高まりました。
面接、作文のための準備は自分達の滞在した国について考えをまとめる良い機会となりました。自分の意見を表現することによって、理解が深まり、その国と人をますます好きになったようです。
二人とも希望の学校に入学できたのは、目標にむかって集中できたからだと思います。今、生き生きとして高校生活を送っております。

高校受験

海外へ赴任されたご家族にとって、帰国後、子供の学校のことは大きな問題でしょう。海外での経験を生かし、スムーズに日本の学校生活に移行できるよう願うのが共通の親心だと思います。
我が家の場合は、アメリカ滞在が8年になった頃、子供の希望で日本の高校を受験することになりました。日本ですと、中学3年生の夏頃でした。

まず、帰国生受け入れ校を調べることから始めましたが、それまで漠然と、分かっているつもりだった帰国生枠試験と言われるものの中にも、様々なパターンが存在し、又、受け入れ側の学校の姿勢もそれぞれであることが分かりました。
次に、先に帰国し受験を経験された方の話を伺ったり、学校のホームページを閲覧したり、フレンズの『学校案内』を読んだり、又、一時帰国中に帰国生受け入れ校フェアに出向いたり、学校説明会に参加するなどし、子供とも話し合った結果、現地校での成績や様々な活動、語学力など、海外での実績も評価の対象としてくれる学校であることと、帰国生の人数が多い学校であること、つまり、帰国生に深い理解のある学校であることを基準に志望校を数校に絞り、準備を始めました。
準備と言っても、我が家の場合、海外からの直接受験で塾なども進出していない地域でしたので、通信学習のエッセイ対策を少しと、一時帰国中に塾の短期集中講座や問題集を利用した自習といった程度でした。それでも、現地校の学年が上がると、日々の勉強量も増え、現地校の勉強に費やす時間も多くなり、なかなか、受験の為の勉強との両立が難しく、モチベーションを保つのが難しかったようです。

その後、受験直前講座を受講する為に12月末に一時帰国し、受験資格であるGr.9を終了していた為、そのまま受験となりました。幸いにも希望の学校に合格することができ、現在は充実した学校生活を送っています。
この経験を通じ感じたことは、帰国生と、ひと口に言っても滞在国や滞在年数、日本人学校か現地校に通っていたかなども含め、千差万別で、また帰国生受け入れ校側にも様々な対応があるということです。子供の歩んだ道と、受け入れ側の学校の要求しているものをよく照らし合わせ、子供を含め、よく話し合い、子供に合った学校を選択することが大切だと思いました。
海外経験をした子供は逞しいものです。親は、Bestな選択をと気負いがちですが、Betterな選択の手助けができれば、あとは子供が自分で試行錯誤しながらも、自分にとっての一番の道を見つけていくものだと思います。

娘の中学受験

カリフォルニア州に2年、コネチカット州に5年の通算7年間のアメリカ生活でした。娘は5歳で渡米し、現地校で教育を受け、帰国の時には小6になっていました。アメリカでの生活をエンジョイしながらも、現地校と日本語の勉強の両立には苦労しました。学年が進むにつれて宿題やテストに追われるようになり、その上、国語と算数の勉強をするわけで、しかも、友達とも遊びたいと言うので、お風呂の時間が無くなった事もしばしばでした。私立校の帰国枠受験を考えていましたので、現地校での成績も気にしながら、受験のための塾に通わせていました。

受験校を選ぶため、帰国してすぐにいくつかの中学校の文化祭、体育祭、説明会などを見て回りました。結局、娘にとっては帰国子女のためのクラスのある学校より、一般生といっしょで特別扱いされない方が良いのではないか。学習面の後れも徐々に克服できるのではないかと考え、帰国子女のための特別な配慮はないけれど、校風やその他が気に入った学校を選びました。運良く志望した私立女子中学に合格する事が出来ましたが、入学してほっとしたのもつかの間、学習面で相当の努力が必要なのだと思い知らされました。先生方があたたかく励ましてくださり、本人も意欲をもって頑張っていますので、だんだんと勉強の遅れも取り戻しつつあります。友達にも恵まれ、テニス部に入って活き活きと充実した中学生活をおくっています。

広い視野で考える大人に

テヘランに駐在が決まったとき、まず子どもの受験をどうするかという問題にぶつかりました。そのとき長女は小6の1学期、中学受験の追い込みの時期でした。娘の「私だけ日本に残して受験させて。」という言葉に迷いもありましたが、話し合いの末、一家4人と犬1匹でテヘランに行くことにしました。娘の通っていた塾の好意で夫の会社経由でテスト問題を6年の最後まで送っていただきました。その後テヘラン日本人学校に中1まで通い、中2から本人の希望で帝京ロンドンに編入し、寮生活が始まりました。13歳から1人暮らしをさせることの不安は、親にとっても大変なものでしたが、そこでの経験は思っていた以上に大きな成果を生みました。中3の12月末から2月末まで高校受験のため帰国、親子で学校訪問をしたり、受験校選びに悩み抜きましたが、結果的には希望校に編入させていただきました。

子どもの受験に至るまでの育て方を振り返ると、現地の人との触れ合いを大切にすることが、その後の成果に大きく寄与すると思います。両親に現地の人との交流があれば、自然と子どもたちに交流ができます。その国の料理を作ったりしていると、頭で考えている以上に、その国の文化に馴染んでいくようです。このような日常的な一寸した配慮が大切に思われます。イランとイギリスからの帰国子女枠での受験を通して、日本の学校の受け入れ態勢の温度差も経験しました。どこで生活していても子どもたちにその国の良いところを学んでもらい、海外生活の自信をつけるよう親が心がけて育てていくと、社会に出たとき、広い視野で考えられる大人になるのではないでしょうか。

それぞれの道へ

夫の2度目の海外駐在がブラジル、リオデジャネイロと決まり、私と子どもたちが出発したのは、息子が中2、娘が中1の12月の末でした。一番心配だったのは2人の子どもの教育でした。
リオには日本人学校があるものの中学部を卒業したら、リオのアメリカンスクール、日本へ帰国しての高校受験、在外私立の日本の高校のいずれかを選択することになります。その決定まで、息子は1年間、娘は2年間が与えられていました。結局一度目の海外駐在であるアメリカでのゆったりとした生活が気に入っていた息子は、リオのアメリカンスクールへ、日本が大好きで、リオに行くのをいやがっていた娘は、日本への帰国を選びました。

親としては2人が同じ選択をしてくれたら、経済的、精神的、肉体的にずっと楽だったと思いますが、2人がよく考え、自分で決めた進路に親はできるだけ応援してやることにしました。たとえばブラジルでは日本の高校、大学の受験情報がほとんど手に入らなかったため、情報を集め、子どもたちに示してやりました。
娘のときは学校案内で、通ってみたいと思う学校を選び、中2の冬休みを利用して、私と娘の2人で一時帰国し、高校を訪問しました。息子のときは大学案内で受験したい学校、学部を本人が選び、在留証明書などの必要書類の手配を助けてやりました。
ブラジルでの生活は子どもたちにとって、どんなことがプラスとなり、どんなことがマイナスとなったのでしょうか、その答えは私には計り知ることができませんが、きっと子どもたちそれぞれの気持ちの中で、いろいろな思いとなって膨らんでいることと思います。

高校受験

アメリカの中都市の学校、日本人が1人もいない現地校に娘は通っていました。
会社から帰国の話を聞いたとき、荷造りよりも子どもの教育の事に頭を悩ませました。娘が中学3年生の9月の頃でした。高校受験のためにすぐ帰国するか、父親と一緒に11月下旬にするかまず悩みました。それからも志望校などを決めなければなりませんでした。私は、とにかくたくさんの情報が必要だと思い、帰国した知人、日本にいる親類や、相談機関に問い合わせました。また、海外子女教育振興財団の「学校便覧」やフレンズの「高校案内」を繰り返し読んで、志望校を大体決めました。そして志望校は日本語か英語の作文と面接で試験が受けられる学校のみを選び、帰国子女向けの小さい予備校で英語と英作文を主に勉強しました。この選択は娘にとっても負担も少なく、よかったようです。
娘が、どこの学校にも入学できないのではないかと不安でしたので、数校を受けさせました。それぞれの高校で帰国子女に求めているものが違うように思います。幸いにも、帰国子女の高校に入学できました。こうした経験を振り返ってさまざまな情報を集めることが大切だと思いました。

帰国後の学校選び

学齢期の子どもにとって、父親の転勤は必ずしも区切りの良い時期に当たるとは限りません。我が家の場合も夫にタイからの突然の帰国命令が出たのは、娘がインターナショナルスクールの11年生、息子は日本人学校の中学1年生の12月でした。調べてみると高校3年生から編入できる学校は極端に少なく選べる状況ではありませんでしたが、家族と一緒に帰国したいという本人の希望もあり、3月の編入試験を受けることにしました。只、息子のことを考えると、できれば1年生を終えて2年生から編入できる方がショックも少ないので、娘の編入試験の日のぎりぎりまで逆単身赴任の期間を過ごしました。

一方、息子は横浜の市立中学校の2年生に編入しましたが、海外に住んでいると、とかく日本の公立校の悪い情報ばかりが耳に入り、学校崩壊やバタフライナイフでの殺傷事件とかの心配をしていましたが、そういう事は一切ありませんでした。タイではバスケット部とテニス部に所属していましたが、日本では二つは無理なのでバスケット部に入部しました。「中学時代の思い出で辛かったことは?」と聞かれると「バスケット」と答え、「楽しかったことは?」と聞かれると「バスケット」と答えるほど部活中心の生活でした。一般受験で私立高校に入学しましたが、今でも週1回、夜の7時から10時頃まで行われる中学校のOB会には参加しています。自分が在籍していたときにはもう卒業していた先輩と顔を合わせることもでき、縦の繋がりが受け継がれています。地元の学校ならではの良さではないでしょうか。


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