ダラット・早朝の風景
29日(金)明日、宮城県岩沼市で行われる「森の長城プロジェクト」の植樹祭に娘と3人で参加する。私は初回から3回目になる。このプロジェクトは理事長・細川護煕氏、呼びかけ人に劇作家の倉本聡氏や音楽家坂本龍一氏、発案者・宮脇昭氏。私はこれに賛同。
このプロジェクトはあと7年続く。最後まで参加できるかどうか。朝5時に出発、昨年まで通過できなかった楢葉、大熊町など原発立地県の道路を通過して現地に向かう予定である。詳しくは後日報告したい。私には忘れがたい在日朝鮮人が何人かいるので紹介する。
故・金泰振氏(日本名中山泰振)。日本の陸軍士官学校出身。同級生に元自民党幹事長梶山静六氏や元韓国大統領・朴正煕氏(現大統領の父)退役時は大佐。戦後日本初の朝鮮人学校(中郷村二本木)の教師を経て、土建業・中山組社長。軍隊に入ったのは差別がない?
早朝の風景・太刀魚?
と生存中語っていた。金氏は朝鮮総連に属してはいたが、常に批判的だった。創氏改名には応じなかったが、土建業をやるに当たり、やむを得ず通称名で名乗った。自由主義史観論者たちは創氏改名が自主的であった証拠に洪思翊中将は改氏しなかったと無知なことを言っている。
金氏も洪氏も差別のない軍だから創氏を拒否できたのだという。金氏は周囲の反対を押し切って日本人と結婚し、子どもたちは京大をはじめ有名大学を出たが、国内でいうまともな出世は望めなかったし、自分の仕事も下請けの下請けしか仕事がもらえず苦労したと。
敗戦直後は選挙権もあったが、その後奪われ、今は税金を払うだけで参政権もないし、差別は続いていると。帰化については子どもたちの意志に任せているけど、私はその気はないと。差別が嫌だったら帰化すればいいという日本人がいるけど、私は朝鮮人だと。
滝があった
金氏の両親は今の韓国で生活に困り、逃げるようにして出稼ぎの形で自主的に来日した。強制連行ではなかった。土地を追われるようにしてきた人もいたと。日本の敗戦とともに帰国の選択肢もあったが、故郷の土地も他人に渡り、帰るべき故郷もなかった。
それ以上に、敗戦時2百数十万人もいた朝鮮人の子弟の教育の問題を何とかしなければと思った。ところが、49年GHQは中郷村等の民族学級閉鎖命令が出され、日本の学校に通わされた。そして、在日組織は分断された。元々無給だった金氏らの生活は並大抵ではなかった。闇物資の運搬からどぶろく製造まで何でもやった。
2百数十万の同朋はみんな好きで日本に来たわけではない。勝手に日本に併合され、日本人に仕立てられ、軍隊にも徴用にも行けるぞとおだてられ、日本敗戦で今度はお前たちは外国人だから故郷へ帰れ、外国人だから選挙権はやれない。こんな理不尽に耐えてきたと。
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